まだ薄暗い早朝、ロッジの裏手から続く小道を下ると、渓流の音が次第に大きくなってくる。湿った草の香り、冷たく澄んだ空気、足元の石の感触。すべてが「ここにいる」という確かな感覚を体に呼び戻してくれる。川のほとりにたどり着いたとき、私はそこにある一枚の平らな岩の上に腰を下ろした。
水の流れる音というのは不思議だ。それはひとつの音ではなく、無数の音の重なりだ。大きな石を乗り越える激しい音、浅瀬を滑る繊細な音、淀みの中のわずかなさざ波。しばらく目を閉じて耳を澄ませていると、それぞれの音の層が分離して聞こえてくるようになる。そして気がつけば、頭の中のざわめきが少しずつ薄らいでいる。これが水辺の瞑想の力だと思う。思考を押しつけるのではなく、ただ川の音に流させればいい。
三十分ほど川のほとりに座っていただろうか。空が白み始め、木の向こうから最初の鳥の声が聞こえてきたとき、私はゆっくりと目を開けた。水面に朝の光が映り、きらきらと揺れていた。空腹を感じ、今日の朝食が楽しみになっていた。体が軽く、心が整った感覚。渓流は、何も教えようとしていなかった。ただ流れ続けることで、それで十分だった。